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2024年8月6日

《パリ五輪》フェンシング・男子フルーレ団体 県勢「金」の原動力 ▪上毛新聞(2024/08/06)より

4日の男子フルーレ団体決勝で、松山(JTB)飯村(慶大)敷根崇裕、永野雄大(ともにネクサス)の日本はイタリアを45-36で破り、初の金メダルに輝いた。フルーレでの日本の金メダル獲得は初めて。3位決定戦はフランスが米国を下した。全日程を終了し、日本は金2、銀1、銅2の計5個のメダルを獲得した。

◎先陣切り流れつかむ 敷根
○…男子フルーレ団体決勝の第1試合で日本の先陣を切った敷根は、5-3とリードを奪ってチームに流れをもたらした。個人戦では予想外の初戦敗退に終わり、精神面の弱さを反省。「団体戦では強い自分でいられた」とチームメートの支えもあり、本来の姿を取り戻した。
男子フルーレ団体の4人は試合前夜、食事をしながら日本が銅メダルを獲得した女子サーブル団体をテレビ観戦していたという。敷根は「(日本が)3日連続のメダル獲得と聞いて、僕らは青ざめた」と明かした。大トリとして見事に金メダルで締めくくり「プレッシャーに打ち勝つことができた」と胸をなで下ろした。

◎5点連取で大仕事 永野
○…補欠だった永野が大仕事をやってのけた。イタリアとの決勝は35-34で迎えた第8試合に敷根と代わってピストへ。「無我夢中に動いて、手を出そうと意識して」と果敢に攻め、相手に1点も与えずに5点を連取する最高の内容でアンカーの飯村につないだ。
日本が初優勝した昨年の世界選手権では団体のメンバーから漏れた。「自分のフェンシングは間違っていないという自信だけはあった。信じて走り続けてきて良かった」と爽快に笑った。

◎初出場の飯村大一番に動じず
フェンシングの男子フルーレ団体決勝。過去7度の優勝を誇る強豪イタリアとの大一番で、日本のアンカーを担ったのは20歳の飯村だった。初出場ながら、大役にも動じずに躍動。日本の未来を担うホープは「一丸となって強さを発揮できた」と、4人が結束して勝ち取った金メダルを誇らしげに見つめた。
40-34で迎えた第9試合に登場すると、4連続得点で金メダルへあと1点とした。激しい突きの応酬からのアタックや、走りながら突く「フレッシュ」など多彩な動きで相手を翻弄(ほんろう)。最後は鋭く踏み込んで相手の胸を突くと、日本の得点を示す緑のランプがともった。「五輪で強さを証明することができた」と胸を張った。
決勝1時間ほど前のミーティングでルペシュー・コーチが告げた。「一輝をアンカーにする」。2022年に団体メンバー入りして以来、公式戦では初の重責。「さすがに想定外すぎて、血の気が引いた」と尻込みしかけたが、逃げなかった。
身長169センチと小柄で、一瞬のスピードで相手の懐に入り込むスタイルは、五輪メダリストの太田雄貴さんを手本に磨いてきたものだ。父栄彦さんが太田のコーチを務めていた縁で、幼い頃から兄のように慕ってきた。若くして世界で活躍し、その将来性から“太田2世”との呼び声も高い。
今年5月には食事会の席で「太田さんを超えます」と本人を前に宣言した。自らに重圧をかけ、その言葉を実現。表彰式後には、会場で観戦した太田さんと抱き合った。

◎ジュニア育成が結実
日本フェンシング協会の強化はかつて、フルーレ一辺倒だった。ただ、2010年代の前半から、エペとサーブルにも力を入れるようになった。育成対象となった当時のジュニア年代の選手たちが順調に選手として大成し、国際大会で結果を残せるようになってきた。
五輪への挑戦は1952年ヘルシンキ大会の男子フルーレに出場した牧真一から始まった。64年東京五輪の男子団体で日本が4位となった「成功体験」を機に、国内ではフルーレを中心とした強化が進んだ。有効面が胴体のみで、細やかな技術を生かせる点が日本人向きとされる。
男子フルーレでは08年北京五輪の個人、12年ロンドン五輪の団体で太田雄貴が銀メダルを獲得。日本協会はこの実績によりフルーレの強化は一定の成果を得たと判断し、エペ、サーブルを含めた多角的なアプローチへとかじを切った。
日本代表の青木雄介監督は「フルーレからエペ、サーブル。男子から女子へと枠を広げた」と解説する。その転換点はくしくも東京五輪招致決定のタイミングと重なり、強化のスピードが加速した。
日本オリンピック委員会(JOC)のエリートアカデミーにエペ、サーブル部門を取り入れるなど若手の育成システムを構築し、ジュニア世代の大会を創設。若い頃から専門で取り組む選手が増え、同アカデミーは女子サーブルの江村美咲(立飛ホールディングス)らを輩出した。