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2024年1月30日

 《パリで飛躍を 県勢アスリートの現在地(4)》フェンシング男子フルーレ 永野雄大(25) ネクサス 五輪、連続出場へ決意 ▪上毛新聞(2024/01/30)より

フェンシング男子フルーレの永野雄大(ネクサス)は東京大会に続く、2大会連続の五輪出場を目指す。今季はワールドカップ(W杯)の個人戦で上位に入り、団体戦でもメンバー入りして、日本のパリ五輪の出場権獲得に貢献。今夏の祭典へ向けて「個人戦と団体戦の両方に出場して、メダルを獲得できるように頑張りたい」と意気込む。

◎東京大会、悔しさも
22歳で迎えた東京五輪は団体戦の補欠で代表入りし、チームの4位入賞に貢献した。3位決定戦に出場したが、惜しくも米国に敗れた。「普段の試合とは違う雰囲気で良い経験になったが、メダルまであと一歩で悔しさも残った」と夢の舞台を振り返る。
自身の強みを「粘り強さ」と語り「簡単に失点しないことと、相手が嫌がることを続けることを意識している」と強調する。長身でリーチのある海外の選手に対しても、剣の駆け引きの中で攻め込める場面が増えてきた。
課題に挙げるのは、フットワークの部分。「体の重心が前に行くと、手の精度が悪くなる」。1992年バルセロナ五輪代表の父親、義秀さんの指導の下、体が突っ込み過ぎないことを心掛けて、鍛錬を続けている。
東京五輪後も、着実に結果を残してきた。個人戦では2022年のW杯で自身初の銅メダルを獲得。今季は昨年11月のW杯で6位に、同12月のW杯では8位に入った。「大きなけがもなく順調に練習を積めている。海外での試合を重ねて、緊迫した場面でも精度の高い技を出せるようになってきた」と手応えを語る。
団体戦では昨年11月のW杯からメンバーに名を連ね、今月にフランスで開催されたW杯で、敷根崇裕(ネクサス)らと共に銀メダルを獲得。国際フェンシング連盟(FIE)による4月1日までの国・地域別の団体ランキングで、1大会を残して4位以内が確定したため、パリ五輪出場権を獲得した。
五輪の選手選考は国際フェンシング連盟が定める個人ランキング上位2人を最優先で選出し、補欠を含む残り2人は強化本部の推薦により選ばれる。永野は1月時点で日本勢3位につけるが、3月までにW杯など3大会が残っており、この結果で順位が入れ替わる可能性もある。
まずは上位2人に入り、ランキングでの代表入りを目指す。「厳しい戦いが続くが、遠征費などを援助してくれているネクサスをはじめ、支えてくれる多くの人のために選考を勝ち抜きたい」と決意をにじませる。

◎チームワーク抜群
国内におけるフルーレの代表選手は20代が中心だが、経験値の高い選手が多く、総合力は世界でもトップレベル。団体は昨年7月の世界選手権で、敷根らを擁する日本が金メダルを獲得した。世界選手権での日本の団体制覇は男女計6種目を通じて初の快挙で、男子フルーレでの優勝も五輪、世界選手権を通じて初めてのことだった。世界の頂点に立ったこのチームに入ることはできなかったが、永野は「チームワークが良く、日本チームとして世界で戦えるということを感じた」と打ち明ける。
五輪でのフルーレは、08年北京大会の男子個人で太田雄貴さんが銀メダルを獲得、12年ロンドン大会では男子団体が銀メダルに輝いたのが、これまでの最高成績。東京大会で金メダルを取った男子エペに遅れを取った形となるが、パリ大会ではフルーレも金メダルを取れる可能性が十分にある。
今夏の大舞台でのフェンシング会場は1900年パリ万博のために建設された、ガラス屋根が特徴的な「グラン・パレ」。2010年に世界選手権が開かれ、紫を基調にした照明で歴史的建造物をライトアップした演出が評判になった。「東京大会の時は無観客だったが、今回は素晴らしい会場で多くの観客の中で試合をしたい」と永野。視線の先には、花の都で世界の強豪と戦う姿がはっきりと見えている。

ながの・ゆうだい 1998年10月生まれ。茨城県出身。帝京高(東京)―中大卒。東京五輪男子フルーレ代表。2019、21年の全日本選手権個人戦で優勝。

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